初の国産活動写真

明治32年(1899)6月20日、初の国産活動写真が東京・歌舞伎座で上映されたという。稲垣浩監督はその著『日本映画の若き日々』(毎日新聞社刊)の中で、『日本映画の発祥は京都だった。少壮実業家の稲畑勝太郎氏がフランス土産として持ち帰ったキネマグラフィックを、貿易王を夢見ていた29歳の横田永之助氏が興行化しようと横田商会を興し、その後、吉沢商会、Mパテー梅屋商店、福宝堂などが合流して「日本活動写真㈱」(日活)が創立され、京都に撮影所を建設したのがそもそもの始めである』と。
近代短歌に大きな足跡を残した正岡子規は、見たいと思う物のトップに活動写真をあげているが、そのころすでに「紅葉狩」(明治32年/監督柴田常吉、出演市川團十郎、尾上菊五郎)をはじめ日本製の活動写真が徐々に作られるようになっており、全国主要都市でその巡回興行が繰り広げられていた。
当時の映画興行者として映画史に名前を留めているのは、東京の吉沢商会、“すこぶる非常”を売り文句にしていた活弁士の駒田好洋、それに京都出身で後に日活社長になった横田永之助と、「京都の映画80年の歩み」(京都新聞社刊)にある。