コラム|城戸・森・永田氏の鼎談

第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)1月、
GHQのマッカーサー最高司令官は戦争中、軍に協力したとして多くの政財界トップを公職から追放したが、この時、阪急阪神東宝グループの創立者・小林一三翁はじめ、城戸四郎・松竹副社長(のち社長・会長)、森岩雄・東宝製作顧問(当時)らもその職を離れた。追放令が解除されたのは、50年8月である。その年の「キネマ旬報」には、「日本映画界再編成の機運にのぞむ…」と題した城戸、森両氏と業界復帰を歓迎する形で出席した永田雅一・大映社長による鼎談が載っている。
50年というと、朝鮮動乱がぼっ発(6月25日)。その翌年マッカーサー元帥解任、対日講和条約の調印、ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した「羅生門」が公開という波乱の多い年であった。鼎談は、城戸、森両氏が現役の永田氏より映画業界の現状を聞く形になっているが、ラッパの異名を持つ永田氏からは『松竹・東宝・大映の3系統から東横太泉の東映、新東宝を加えた5系統となり、競争が激化、それをどうするかが急務』と提案があったり、時代相を反映する味のある話し合いとなっていたのが興味をひいた。

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