映画興行発祥の地・大阪

エッセイストの武部好伸さんは以前、日本経済新聞大阪本社夕刊の連載企画『大阪は映画の都だった』に登場。『120年前の1897年(明治30年)2月15日、大阪・難波で映写機「シネマトグラフ」による日本初の映画興行が始まり』と語っている。
この場所は南地演舞場といい、現在はTOHOシネマズなんばの入る東宝南街ビルである。このビルができる前には、東宝南街会館があった。開場時は3館だったが、のちに大スクリーンが自慢の南街劇場、南街東宝、南街スカラ座、南街シネマ、南街文化が入り、劇場総合ビルと呼ばれ、現在のシネコン(複合映画館)の原型ともいえるものであった。1953年オープン時、南街劇場ロビーに創業者・小林一三翁(当時は東宝社長)の碑文が掲げられ現在も1階エレベーターホールで見ることができる。逸翁は『この地が日本における映画興行の発祥の地であることをある文献によって知る事を得た』と記す。リュミエール兄弟発明のシネマトグラフを輸入したのは、のちに大阪商工会議所会頭になる稲畑勝太郎氏。開業当時、東宝は“百館主義”を掲げ全国の県庁所在地など興行街に直営館を続々とオープンしていくのだった。