恒例の「小津会」開催

小津安二郎監督は昭和38年、満60歳の誕生日に亡くなった。12月12日がその日。亡くなってからその日が松竹大船撮影所の「小津組」スタッフ・キャストが集まるようになった。『小津会』である。今年も鎌倉市内で開かれた。「早春」(56年)からプロデューサーの山内静夫氏はじめ当時のスタッフやその子弟が参加。年々増加していることも聞いた。
11月25日付本紙で、神代辰巳監督について書かせていただいた。クマさんこと神代監督は筆者の大事な師匠のひとり。助監督も含めて「一条さゆり 濡れた欲情」「鍵」「濡れた欲情 ひらけ!チューチップ」の三本に参加した。神代監督は日活全盛時代、小林旭主演「渡り鳥シリーズ」のチーフ助監督だった。メイン監督を務めたのは斎藤武市監督。斎藤監督はご存知の通り「東京物語」のセカンド助監督で、エキストラの演出を任された松竹大船撮影所出身の映画監督。ということは、筆者は甚(はなは)だ僭越ながら、自称小津監督のひ孫弟子ということになる。日活の撮影現場でテストや本番開始のかけ声は「よーい、ハイ!」。松竹スタイルなのだ。大森一樹監督や現在、PFFに在籍の元ユニジャパン事務局長の西村隆氏と遊んだ「グループ無国籍」時代に作ったアマチュア映画のかけ声も、やっぱり「よーい、ハイ!」だった。