78年前の日米開戦に思う

今から78年前の12月8日(現地時間7日)、日本海軍の機動部隊はアメリカハワイ・オアフ島にあるアメリカ海軍太平洋艦隊を奇襲し、軍艦アリゾナはじめ多大な損害を与え、太平洋戦争(正式呼称は大東亜戦争)がはじまった。第一次攻撃隊は「再攻撃の要を求む」を発信。機動部隊司令長官南雲忠一中将は回れ右して引き揚げた。連合艦隊司令長官山本五十六大将は「泥棒だって逃げるときは怖いよ」と言って、南雲長官をかばったと伝えられる。第一次攻撃で石油備蓄タンクなどを破壊しなかったのが、1年半後に起きる「ミッドウェー海戦」で大負けを喫した原因といわれる。現在、全米で同海戦をローランド・エメリッヒ監督が描いた「MIDWAY(原)」が大ヒット中。2020年秋、キノフィルムズ/木下グループによって公開される。
時間は一挙に終戦に飛ぶ。すでに山本元帥亡く、米内光政大将が昭和天皇の特旨で予備役から復帰し海軍大臣になった。海軍を結集して終戦工作を開始。海軍兵学校長だった井上成美中将を海軍次官に抜てき。終戦工作が大臣の正式な下命で行われていたのは驚く。それが終戦内閣の鈴木貫太郎首相に多大な影響を与え、昭和天皇の聖断にこぎ着け、昭和20年8月15日を迎えた。9月には塩の生産できず餓死者が出る寸前だったといわれている。