コラム|東映京撮・盟友対談②

東映京都撮影所を支えた脚本家の高田宏治氏(83)と中島貞夫監督(83)の“盟友対談”は、「週刊新潮」8月17日24日夏季特大号に掲載。昭和37年は中島監督の入社3年目で、組合の書記長に。撮影所で働く1000人を正社員にの要望通りとなった途端、映画界が右肩下がりになって「東映」存続の危機に立たされた。中島監督は「客観的にいえばテレビが台頭してきて相対的に映画館に足を運ぶ人が減っていく。けれど現場認識では東映京都撮影所の魅力が明らかに失せて行った」という。片岡千恵蔵、市川右太衛門はじめ、中村錦之助(萬屋錦之介)、大川橋蔵も人気が急落。中島監督はエロ路線「くノ一忍法」でデビューを果たす。大物の替わりに出てきたのは、時代劇やギャングものでは目が出なかった高倉健や他社からの移籍組の菅原文太(ともに平成26年死去)らだった。中島監督は「健さんは時代劇をやっていなっかったのが逆によかったのかもしれないね」。高田氏は「暴力の方は、高倉健主演『日本侠客伝』が走りかな。岡田茂所長(当時)が東京撮影所長の頃、鶴田浩二主演『人生劇場 飛車角』のような作品を京都でもやろうと。健さんのラストの顔を見るためだけにお客さんが劇場に列をなしたんだよね」と締めくくった。  (終わり)