コラム|東映京撮・盟友対談

「週刊新潮」8月17日24日夏季特大号に、東映時代劇に始まり、任侠映画や実録映画で活躍した中島貞夫監督と脚本家の高田宏治氏が、「片岡千恵蔵」「市川右太衛門」「美空ひばり」「萬屋錦之介」…“スターに非ずんば人間に非ず”東映京都撮影所を支えた「盟友対談」と題して語り合っている。二人は1934年(昭和9年)生まれ、東大から東映入社も同じ。タクシー代は名刺切れば済んだことや助監督の時間労働は月300時間だったから始まった。当時の中島助監督は「同じ寮に大川恵子とか、山城新伍の嫁になる花園ひろみとか皆いたね」。高田氏入社の58年(同33年)には「俳優会館という4階建てのビルが建ったんです。“両御大”と呼ばれた片岡千恵蔵さんと市川右太衛門さんがそれぞれ陣取っていたね」、中島監督「助監督の一番の仕事は俳優会館にスターを呼びに行くこと。錦ちゃん(当時は中村錦之助)がなかなか出てこないので、カッとなってしまったら錦ちゃんに“お前、俺にケンカ売る気か!”って怒鳴り返された」ことで仲良くなった。錦之助は有馬稲子と結婚後「インテリと付き合いなさい」といわれ、さらに親しくなっていったという。
(つづく)