先週金曜日の5日夕、一ツ橋の如水会館で、東映㈱元常務取締役、東京・京都両撮影所長を歴任された坂上順プロデューサー(享年79)と「新幹線大爆破」「男たちの大和/YAMATO」の佐藤純彌監督(享年86)の「お別れの会」が開かれ、映画会社関係者、撮影に携わったスタッフや出演俳優が大勢参加し、故人を偲んだ。そんな中、会場での会話から松竹の元監督・プロデューサー、「松竹百年史」「松竹百十年史」など執筆された田中康義氏(享年89)が、さる5月25日に急性心不全のため亡くなっていたことがわかった。
昭和29年(1954)東大卒。松竹入りし、小津安二郎監督「早春」「東京暮色」「彼岸花」に助監督としてつき、「夕月」(68)で監督デビュー。ドキュメンタリー映画「小津を語る」(93)を手がけ、プロデューサーや社史編纂にも携わった。筆者とも縁があった。香川県小豆島の「二十四の瞳映画村」開村20周年記念「キネマの庵(いおり)」を有本裕幸専務理事の総指揮の元、筆者がプロデューサーを務め、展示映像を製作、松竹京都映画(現松竹撮影所)に発注。構成・脚本を田中氏に依頼、前松竹映像センター副社長の阿部勉氏に監督していただいた。小豆島の歴史からひもときナレーション・出演は小林稔侍さんという見事な仕上がりで、さすがプロと納得した。
田中康義氏が亡くなっていた
