小林一三翁は山梨の人、一三翁は京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に「五戒」を残した。
一、吾々の享くる幸福は 御乗客の賜なり
一、職務に注意し 御乗客を大切にすべし
一、其(その)日になすべき仕事は 翌日に延ばすべからず
一、不平と怠慢は健康を害す 職務を愉快に勉めよ
一、会社の盛衰は吾々の雙肩にあり 極力奮闘せよ
五島慶太翁は長野の人。昭和33年元日。書を求められ「仁者壽」と書き、慶太と記した。論語から取ったもので、「じんしゃはいのちながし」と読む。俳号は好まず、「慶太」と書き、落款も名前をそのまま使ったという。「五島慶太の追想」(昭和35年発行)より。「週刊現代」2月16・23日号には、慶太翁の語録が紹介されている。
「ものごとはすべて大きく考えること。おじけづいていては成功しない」
「人は息絶えても、夢は残る」
慶太翁は戦前戦中、池上、玉川両電鉄はじめ戦時下の寡占奨励政策に乗じ小田急、京王両電鉄を吸収合併「大東急」を作り上げ高らかに言った。「わが鉄路、長大なり」と。
二人は芸術でも共通。それぞれ「逸翁美術館」「五島美術館」を持った。(おわり)
小林一三翁と五島慶太翁②
