“宝塚のモーツァルト”と呼ばれた宝塚歌劇団元理事で作曲家の寺田瀧雄氏が亡くなって18年が経った。さる2日で千秋楽を迎えた宝塚歌劇雪組の東京宝塚劇場公演「凱旋門」。18年前の初演公演中に交通事故死という悲劇が襲った。葬儀場のエテルノ西宮で執り行われた通夜と葬儀・告別式には大勢の宝塚歌劇団関係者が参列した。生徒には「寺田先生」と呼ばれ、親しき中にも礼儀ありだが、友達のように接していた姿がきのうのことのように甦る。遺作となった主題歌「雨の凱旋門」や「いのち」は今でも催しやディナーショーのたびに歌われている名曲。
宝塚は戦後一時期人気低迷したが、「ベルサイユのばら」や「風と共に去りぬ」「星影の人」「哀しみのコルドバ」などの大ヒットにより、再びブームを呼ぶ。その主題歌をすべて作曲したのが寺田氏である。平成5年、初めて会ったのは、桜が満開の宝塚・花のみち。「ベルばら」初演の時「演出の長谷川一夫先生に“ほんまにアンタが作曲したんか?”と聞かれ、“先生、顔で作曲はしません”と答えましたんや」という笑い顔が浮かぶ。以来、ことあるごとに呼び出されては、おつき合いしたことはかけがえのない思い出。「寺田やけど、寺田町(大阪の地名)で飲みまひょか!」の声をもう一度でいいから聞きたい!
寺田瀧雄先生のこと
